~靜民報(2015年3月27日)

 心療内科を開業してまだ2年を経過したばかりですが、近隣の中年や高齢の受診者の方に混じって、ポツポツと子供達が受診してきます。母親か両親に連れられて来ることが多いのですが、その受診理由は不登校、自傷行為、学習障害などです。
 茜ちゃん(仮名)は、珍しくもお父さんに連れられて受診した小学校2年生の可愛い女の子です。茜ちゃんが4歳の頃にお母さんが家を出てしまって、それからお父さんと二人暮らしの子です。小学2年の新学期になってから学校に行く時間となると「お腹が痛い」と言って苦しみ始めることが頻回にあり、お父さんは最初の頃は救急で小児科を受診させましたが、いつも「異常ありませんね」と医師に言われるので、お腹が痛くなるとお父さんは実家の母親(茜ちゃんの祖母)にあずけて出勤します。あまりにも不登校が続くので、学校からスクール・カウンセラーを紹介されて相談に連れて行きましたが、面接の際に茜ちゃんが激しい拒否反応を示したため通えなくなりました。
 茜ちゃんは眼の前で話している私の言葉を聞いているのか、いないのか、とても不思議な少女です。こちらを向いているのですが、何かの思いに捕らわれているようで、その澄んだ瞳は私ではない別のものを見ているようです。いつものことなので、診察室でひとしきり簡単な質問をして、茜ちゃんを解放します。質問は答えやすい内容で、ほとんどが「イエス・ノー」で済むものなのですが、茜ちゃんはそんな私の質問にも答えずに唐突に飼っているペットのハムスターに噛まれた話をしたり、コミックの登場人物が「おかしいよ」と言ったりすることが多いのです。別に私のことが嫌いなわけではなく、父親には「面白い先生だね」と言っているらしく、これは茜ちゃんの最高級の愛情表現を含んだ賛辞なのです。
 私は、お父さんに茜ちゃんのお母さんが突然家を出てしまった経緯を聞きました。父親の訥々(とつとつ)と語る苦渋に満ちた話から、どうもお母さんはこの頃、精神を病んでいたようです。茜ちゃんに全く手を触れず、事実上この頃からお父さんが全面的に育児していたのです。茜ちゃんの心の中には「お母さん」はいなかったのです。
 何も語らない茜ちゃんの治療をどうするか、私達スタッフは相談しました。そこで次のような方法を考えました。まず、毎週土曜日に茜ちゃんに受診してもらうこと、当院の母性本能豊かな女性カウンセラーのMさんが長時間お話しを聞くこと、お話しが盛り上がったら自然を装って抱きしめること、Mさんが担当するスタッフのお昼ご飯作りを手伝ってもらうこと、等です。
 およそ2ヶ月を経過した頃でしょうか、茜ちゃんとお父さんが受診してきた時のことです。彼女がMさんに連れられてカウンセリング・ルームに移動するとお父さんが診察室に入ってきて「先生、茜が毎日学校に行くようになりました!」と、ハラハラと嬉し泣きされたのです。私も感動のあまりお父さんの手を握りしめました。
 子供の心の成長には人肌の温もりを持った母親の愛情が必要です。母親のいない子にはそれに代わるものが絶対必要です。よく話をするようになった茜ちゃんをみていて、心からそのように思いました。
 当院にはMさんを含め、女性スタッフが6名おります。みな愛情に満ちた優しい人達です。毎日外来を訪れる患者さんに笑顔で寄り添っております。そして日々、その優しさに最も癒やされているのが私です。


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