熱海新聞/伊豆新聞/伊豆日日新聞(2014年7月20日)

 難民医療・災害医療に何の関心もなかった私が否応もなく参加することになった最初の経験は1980年12月から派遣の「カンボジア難民医療団日本チーム」でした.当時,カンボジアにはポルポト勢力を駆逐するベトナム軍が侵攻し,これらに押し出されるように戦乱を避ける難民がタイ−カンボジア国境に押し寄せ,その総数は80万人とも100万人とも言われていました.国連の主導でこれらの難民は国境近くのタイ国内に設けられた難民キャンプに収容されました.戦傷・飢餓・感染症に苦しむカンボジア難民のために世界各国からボランテイア医療チームが救援に参加し,大きな話題となっていました.わが国は難民援助に巨額の献金をしていましたが,当初医療チームの参加はなく「金は出すけど人は出さない」と国際的な批判の矢面にさらされるようになり,外務省の要請で急遽国立大学と済生会の混成医療チームが編成され,私は副団長として参加しました.難民キャンプの日本病棟で看護助手として働いてくれたカンボジア人の若者達は,自身も難民であり,その多くが親や兄弟姉妹をポルポト政権下で殺され,さらに相次ぐ戦乱で亡くした悲しい境遇の方達でした.
日本でも災害は頻繁に発生しています.最近では,2004年の新潟県中越地震,2007年の新潟県中越沖地震,2011年の東日本大震災,そして世界でも経験したことのない地震に続発した原発破壊による福島の放射線汚染がありました.私はこれらの災害医療にも新潟県立看護大学や西武文理大学在職中に教職員や学生とともに従事してきました.
難民医療・災害医療に従事してきて,私が感じていることは日本人が多くの経験を経て組織的な活動ができるように成長したこと,経済的な支援よりも医療のような目で見える支援が庶民の感覚にアピールすること,そして医療支援を通じて始まった現地の人達とのこころの交流が私達にとってもかけがえのない財産になることでした.


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