日本医事新報 特集「在宅医療での一言」(2005年)

東京都の離島O島に一人で住み暮らすサイトウさんは,要介護2の,ときどき腰が痛くなって動けなくなる日がある87歳のちっちゃなおばあさんです。看護師さんと一緒にお宅にお邪魔すると,サイトウさんは布団のなかから顔を出して「申し訳ありません,ありがとうございます」と私の手を握りますが,起きあがれません。私達はしきりに施設入所を勧めるのですが,その度に強く拒否されます。理由を聞くと「ヨシトさんと,別れ別れになる」というのです。ヨシトさん……彼女の亡くなった夫の名前です。遠い昔の日,激しい恋をして幾多の苦難を乗り越えて今風に言えば「略奪婚」し,この島に逃げるように来てこの家で住み暮らすようになった2人です。

話しているうちに「ヨシトさん,どうして私を置いて先に死んじゃったの!」と激しくむせび泣きます.「ボケが進んでいるからね」という人もいますが,彼女の激情には偽りはなく,私は圧倒される思いでハンカチで涙を拭いてあげながら,「サイトウさん,きっとヨシトさんに会えますよ」というようになりました。なに,次に往診にいく時間をあせって言葉を滑らせたのですが,サイトウさんは今までに見たこともない笑顔でニッコリして「先生,そう,お迎えがきたらヨシトさんと会えるんだよね!」と急に元気な様子を見せたので,その効果に味をしめ,私はこの言葉を乱発するようになりました.ご近所の人のお話では,毎朝,彼女は仏壇の前でブツブツと独り言で1〜2時間は「ヨシトさん」と話しているんだそうです。

お家を後にして往来に出ると,一緒に来た若い看護師さんは一言「あー,先生,私もこんなピュアな恋をしたいなー」

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