上越放送 シリーズ「愛の姿を語る」より(2008年)

ドストエフスキーの「罪と罰」は、中学2年生のときに読みました。 敬愛する担任の宿舎にお訪ねした時,部屋に家具らしいものはいっさいなく,たった一つの本棚にそれだけが豪華な装丁の全集本が数冊あったのです。「ドストエフスキー全集」と背表紙に書いてあった。「面白いのを一冊貸して下さい」と言ったところ,この教師は「罪と罰」の巻を手にとって「難しいかもしれないよ」と言いつつ貸してくれました。
「魂が揺さぶられた」経験とは,この時のことを言うのでしょう,私は食事も寝る時間も惜しんで読み耽けりました。そして何日目でしたでしょうか,しらじらと夜があけるころに読了しました。ラストシーンは,ソーニャの愛の深さと愛に賭ける生命力の強さを受けて,すべてを喪った主人公青年ラスコルコフが再生する極寒のシベリアの朝です。滂沱とあふれる涙がとまらなかったのです。 本を貸してくれた担任に,読後の感想を夢中になって話しました。「そうかい,そんなに良かったのかい!」担任のこれ以上はないと思われる満面の笑みを今でも忘れません。
私が本当に真剣に勉強するようになったのは,この読書体験の後からです。この担任の先生は,極貧の北海道の開拓農家の家庭に生まれ刻苦勉励して教育大学を卒業した人でした。私は,伯父達が開拓農民として北海道に入植するのに同行した母の元で育ったので,格別に親しみを感ずる存在でもありました。

私はいま看護大学に籍を置いています。看護学生は大部分が女性ですが、学生を観察していると、女性としてのいくつかの勝れた特質が見出されます。それは,女性は愛に生きている存在だ,ということです。愛に生きるから仲間を大切にしようとするのです。生命を生み育てる力と自信に溢れ,周りを生かすためにいつも「語り合う」ことを厭わない。単なるおしゃべりのように見えるが,そうではないのかもしれない。
医療の世界には「簡易精神療法」という治療法があり,相手を支えながら話をお聞きする,というものです。単純ながらとても効果があるのです。彼女達は,お互いに「簡易精神療法」をやっているようなものなのでしょうね。
女性の必要なアイテムは愛(男女,家族,友人他),結婚,出産であり、そのシュミレーション行動を未成年のうちから無意識に繰り返しているようにみえます。男性が太刀打ちできないのは当たり前のような気がします。

専門的職業人である前に、人間としての悩みの壁にぶつかり人間としての成長がないと,真に人を愛することができませんし,人を癒やすべき医師や看護師にはなれません。患者さん達は「人はいかに生きるべきか」を悩んでいる人にこそ「私の担当になって欲しい」と願っているのです。 私にとっても,悩みを語り合っている看護学生の姿は「愛の教師」になっているのです。
「教育は愛の深さで決まる」ということであり,優れた専門職の指導者のありように,この愛の姿をみて欲しい,と願わずにはいられません。

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